オッサンの昔話 第3話 ~山田くん~
最近「放置子」という単語をよく目にします。
過干渉の反対で、育児放棄みたいなものですね。
この漫画の山田くんもそれに近かったと思います。
・・・というか、私の生まれたところは貧しい地域で治安も悪かったので、そういう友達はたくさんいました。
彼とは小学校低学年からの友達でした。
親は基本的には家におらず、いても親子っぽく接しているのは見たことがありません。
ファミコンが小1で発売され、普通はソフトは年に一回買ってもらえるかどうかでしたが、彼は何十本も持っていました。
明らかに親がゲームだけ与えて放置という子供でした。
小学校の高学年からグレはじめ、小学生で髪を脱色したりたばこを吸いはじめたり、あと漫画にも描いたようにちょっかいを出されると暴力が出ていたので、「危ないやつ」という存在になっていました。
前回私は、不良化は逃げ道であり救いと書きました。
彼の場合も、強めにグレはじめたことでそれが鎧になっていた感があります。
・・・と、いうのも、彼は明らかにコミュニケーションに難ありの人でした。
いつもうつろな目をしていて、自分から誰かに話しかけていたのも見たことがありません。
そもそも口数がものすごく少ないのです。
鍋で昆虫を煮て殺すくらいなので、明らかに相当な闇を抱えていました。
そして中学生くらいだと、コミュ障な人はちょっとでもネガティブな要素があるといじりの対象になりやすいです。
・・・が、そういう扱いにはなっていませんでした。
むしろ、強めのグレにより「気合入ってる」と認識され、恐れられていました。
「危ないやつ」がヤンキーの世界で「気合入ってる」と変換されることはよくあります。
なのでグレの鎧により、学校では気ままにしていながら、ひそかなリスペクトも受けていたのです。
転校してからも近況の噂が流れてきたのが、その証拠です。
みんな見て見ぬふりをしつつ気にはしていたんですね。
もうひとつ、当時は「オタク」という言葉がほとんど浸透していませんでした。
そして同時に、ファミコンというまったく新しい遊びの登場は子供たちにとってものすごい衝撃だったのです。
なので、山田くんは今でいうゲームオタクでしたが、「ゲームをたくさん持っている」というだけで小学生時代は軽くリスペクトされていました。
特に低学年の頃は、けっこう他の友達も遊びに来ていました。
親に放置されることは、子供にはどうしようもありません。
そこで「不良化」と「ゲームオタク化」が彼にとって大きな救いになっていたように見えます。
どちらも彼に「立ち位置」を提供したのです。
前回私はこの表でもって、不良とは「悪いことをする人」とは限らず、単に「世の中<自分」となっている人のこと、と書きました。
そういう意味ではゲームオタクも 世の中<自分 の人です。不良です。
当時は子供たちが家で何時間もゲームで遊ぶというライフスタイルに慣れていない時代だったので、ゲームばかりやってるというのは今以上にアウトローで世の中から外れたものだったのです。
これがもし、何かしらの甘えからくるアウトローであれば、ただの堕落です。よくないことです
でも、どうしようもないものに耐え、その上でのアウトローなら誰にも責めることはできません。
ゲームオタクも暴走族も大したものではないです。
アウトローを救いにしてどうしようもないものに耐え、いつかそこから抜け出すときに周りも自分もうまいこと立ち回れる、優しくて強い世の中になるといいですね。
ちなみにアクトレイザーとはこういうゲームです。
音楽がかっこいいです。
古代祐三という人が作曲しています。
この時点でキャリアの長い人で、ゲーム音楽に作曲者ブランドが発生する流れの第一人者かもしれません。
スーパーファミコンの音源は特徴的なのですごく印象深いです。
オッサンのうつ病漫画 第1話 ~うつ襲来~
最近はまあまあ調子いいですが、5年くらい前、最高に具合悪かったときの漫画です。
シンプルにまとめると、働きすぎて不規則な生活してるうちに眠れなくなりうつを発症しました。
漫画の持ち込みしてる頃からメンタルの不調はまああったのですが、そっちは大したもんではありません。
30歳以降の会社経営者期が病気マキシマムです。
会社というのは、服飾通販サイトに載せる商品写真を作る会社です。
取引先の服飾通販サイトというのは、最近話題の、社長が正月に100万円のお年玉配ったり、月に行くと言ってるあのタウンです。
厳密にはちょっと違うのですが、まあほぼタウンです。
関係も良好でしたので、完全に私の仕事のしかたが間違ってました。
私はけっこうゆるいので、会社始めたきっかけもゆるかったです。
当時、彼女と結婚しようかなとなり、でもバイトしながら漫画持ち込みしてるだけの謎の人だから、なんか収入ある仕事に変えたほうがいいと思ったのです。
で、当時バイトしてたそのタウンの商品写真の仕事を、私がスタッフ集めて請け負うよと提案したのです。
フォトショップ使えるし、写真制作のノウハウはあったので、スタッフは自分の友達と当時流行ってたmixiで10人くらい集めて会社完成です。
1週間後にはもう仕事始めて納品してました。
ただ、会社とは大きくなっていくもので、取引先も私の会社もだんだん大きくなりました。
最初は1日あたり数千枚の画像を10人くらいのスタッフで請け負うというものでしたが、それが1日5~6万枚、スタッフも50人以上に増やしました。
年商は多いときで3000~5000万くらいです。
一瞬、杉山社長やったじゃんと思えますが、全部一人で管理してたので、こういうことになります。
365日これが続くので、たぶん緊張感が抜けなかったんですね。
眠れなくなりました。
眠れないというと、ふとんに入っても寝付けないというのを想像しますが、私は寝付きがよくて、でもすぐ目覚めちゃうというパターンでした。
眠りがすごく浅くなってしまったんですね。
これは中途覚醒といい、この時点でうつ病の症状です。後から知りました。
で、やはりゆるいので、せっかく目が覚めたからってことでふとんから出て仕事したりしてたんです。
そうするとますます起きグセがついて、朝までに5回も6回も起きるようになってしまいました。
でもあんまり気にしてませんでした。
そして数年後、友達と人間ドックに行って気絶しました。
漫画ではマヌケに描きたくて検尿シーンにしましたが、実際は採血のときです。
私はもともと採血大得意で、血が抜かれるの見ながらニヤニヤしてるような気味の悪い人なのですが、この時は何か顔が冷たくなってきたぞ?と思ったら、もう気づいたら別室のベッドで目が覚めました。
友達はもう人間ドック全行程終えてて、気絶してた私に爆笑してました。
けっこう長いこと気を失ってたみたいです。
私も爆笑です。
でもさすがに夜は眠れないし人間ドックでは損するしで、病院に行ってみたら、中~強程度のうつ病と言われました。
さて、ここからが本題です。
「うつ病」というと、気分が落ち込む、死にたくなる、暗い将来ばかり考えるなどのイメージがあります。
漢字だと「鬱病」なので、憂鬱とか鬱屈とかそういう気分になるイメージですね。
しかし自分にはそれが全くありません。
でも中~強程度です。
なぜなのか?ということですが、自分の体感では、この病気はストレスによる脳のバグです。
例えば食中毒の菌に感染すると内臓がバグります。
でもバグり方は嘔吐や下痢など、人によって変わります。
ストレスによって脳がバグったときも、バグり方は憂鬱気分が抜けなかったり眠れなかったりと、人によって変わるのです。
想像ですが、普段から落ち込みやすい体質の人は、当然ストレスを受けやすい体質で、それゆえにうつ病になりやすく、うつ病の人はそのパターンが多いということなのではないかと思います。
落ち込みやすいということは日常的にストレスにさらされているというわけですからね。脳がバグりやすいです。
さてそのバグを私は「げんき物質が出ないバグ」と描きました。
人間の体には、自分で制御している働きと制御していない働きがあります。
制御している働きとは、手足の動きや、普段のしゃべり、あれしようこれしようという意思です。
制御していない働きとは、内臓の動きや、反射的な感情(うける!とかイラッ!とか)、そして睡眠です。
漫画では「無意識にやっていること」と描きました。
「げんき物質」とは、脳が体の働きを制御するために出している信号のことです。
脳がバグるとその信号がうまく出なくなるのですね。
そして体の働きがバグります。
げんき物質は具体的には、セロトニンとかドーパミンとか言います。
感情も体の働きの一種なので、うつ病になると感情の制御信号もバグって、気分の落ち込みの症状が出ることがあるということです。
つまり逆に、私のように気分の落ち込みがないのにうつ病になってるということがあるということです。
これは気づきづらいです。
気づきづらいと病院に行くのが遅れるので、こじらせやすいです。
実際私は現在でも、睡眠薬を毎日飲まないと眠れません。
ていうか飲んでも眠れません。
さらにこじらせていると、最初は眠れなかっただけなのに、いろいろ脳バグによる体の不調が出てきます。
それは感情や思考パターンにも表れます。
その話はまた次回以降の漫画で紹介します。
うつ病という言葉にまどわされずに、なんか調子悪いのが続いたら病院に行きましょう。
あと、働きすぎに気を付けましょう。
闇子ちゃん 第3話 ~人間性質ちゃん~
ちょっと前からネットでこういうコピペを見かけるようになりました。
まずボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。
食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。
腹が減ったら、また箱のところに戻ってくる。
ボタンを押しても、その箱から餌が全く出なくなると、サルはその箱に興味をなくす。
ところが、ボタンを押して、餌が出たり出なかったりするように設定すると、
ボタンを押し続けるよりも、他の場所に行って餌を探したほうが効率が良いぐらいに、
餌が出る確率を落としても、サルは一生懸命ボタンを押し続けるそうだ。
そして、餌が出る確率を調整することで、
サルに、狂ったように一日中ボタンを押し続けさせることも可能だそうだ。
この実験が本当かはわかりませんが、今回の漫画の内容と一緒のことです。
低い確率で当たりが出るものははまりやすいということですね。
私が子供の頃、ビックリマンチョコが大流行しました。
みんなレアなシールを引き当てるために大量にチョコを買っていました。
「ヘッド」という超キラキラした種類のシールはだいたい1/40の確率で出ます。
めったに出ません。とてもレアです。大当たりです。
大半は「悪魔」という種類のハズレシールが出ます。もちろんキラキラもしていません。
基本的にはヘッドを狙うのですが、悪魔が出てがっかりしてばかりです。
でもみんな買ってたので、クラスの友達一人くらいはヘッドを引き当てます。
彼はみんなの人気者になります。
人気者になれば脳内物質が出ます。またヘッドを狙いビックリマンを買い続けます。
その他の子供たちも人気者を目指してビックリマンを買い続けます。
ちなみに一ヶ月くらいでシールの種類は全とっかえになり、新シリーズが発売されます。以前のものはもう手に入りません。
クラスをTwitterに置き換えれば、スマホのソシャゲと一緒のしくみですね。
レアキャラ狙ってガチャをひいて、ガチャの結果をTwitterに載せ、みんなからいいねをもらい、それが次回以降のガチャのモチベーションになります。
ビックリマンは30年以上前で、ソシャゲのガチャは最新です。
時代が変わっても、人間の性質は変わりません。
1>99 は夢中になる仕組みなのです。
これは「執着」と似ています。
執着は、良い意味にも悪い意味にもなります。
良い執着とは、99回失敗しても1回の成功のためにがんばるというポジティブな心の動きです。
悪い執着とは、依存的な心の動きです。
闇子ちゃんぽい悪い執着の例として、毒親とアダルトチルドレンの関係があります。
アダルトチルドレンは毒親から離れられない、「親離れができない」ことが多いです。
いろいろ理由はありますが、そのうちの一つに、毒親は99回子供を攻撃し続け、1回だけ気まぐれで優しい時が存在する、というものがあるのです。
漫画で描いたDVの例と同じ仕組みです。
男女間のDVであれば、もともと赤の他人同士なので、まだ離れやすいです。
親子になると、子が親の愛情を求めるのは本能なので、やさしかった1回の印象はとても強く心の底に残ります。
自然界では子供は無力です。だから親にすがる本能が存在するのです。
極端なとこ、99回根性焼きされてても、1回ビックリマンを買ってもらえれば、その1枚のビックリマンシールはずっと大人になっても机の引き出しの中にとっておいてあります。
なので、そう簡単に親から離れられません。
毎日攻撃されてても、いつかまた!あのやさしき1回がまた!を心の底で期待しているのです。
ビックリマンのヘッドシールを引き当てようと、悪魔シールばっかり引いてしまうのと一緒ですね。
かつてはこういう関係は外からは、「ケンカばかりしてるけど何だかんだ親子なのね、いつも一緒にいるもんね、本当は仲いいのね」・・・という感じに見られていました。
そんなシンプルな見方で片付けてはいけない闇だと思います。
最後に、少しレアなパターンです。
多くのパターンでは、アダルトチルドレンは、「もうこの親やだ!!」・・・と思っていて、思っていつつも離れられません。
もうやだと思いながら離れられないのは依存症的な執着です。
パチンコやめたいけどついつい打ってしまう、と一緒ですね。
よくあることです。
・・・が、毒親とアダルトチルドレンの1>99の関係が変なこじれ方をすると、自分は親とどういう距離が心地いいのかがわからなくなります。
「もうこの親やだ!!」とも思えないのです。
依存症的な自分に気づけないのです。
パチンコ打ち続けて、借金してまで通い続けるのと一緒です。
そこで邪魔になるのは子供の自我です。
なので自我を無くすような支配のしかたをします。
毒親になれる人はセンスがあるので、絶妙に子供の自我を無くしていきます。
そして、子供はそんな親を「嫌だ」と思う自我すら無くなってしまうのです。
(こういった例は子から親への依存症的な関係に限ったことです。
他のパターンについては今回の漫画からは外れてしまうので、別の機会に書きます。)
人生全般において、1>99の関係はあらゆるところで表れます。
良いところばかりではなく悪いところでも表れます。
それが普通です。
ビックリマンでムダ使いもできない人生はつまらないです。
なんかきついなと思ったとき、1と99を振り返って、ほんとにその1は99より価値があるものなのか?と見直せばよいのです。
で、良いところでの1>99を自分はやっているな、と思ったら、それは誇りに思いましょう。
なぜならそれは「生きがい」と呼ばれるものだからです。
おすすめ作品 その1 ど根性ガエルの娘
タイトルのとおり、作者の大月悠祐子先生は、ど根性ガエルの作者吉沢やすみ先生の子供です。
その昔、ギャラクシーエンジェルというメディアミックス作品のキャラデザもされていました。けっこうヒットしていた作品です。
ど根性ガエルはみんなにおなじみですね。大ヒット作です。
「ど根性ガエルの娘」の内容は、ど根性ガエルの作者、吉沢やすみ先生は性格が破綻していて家庭内DVがひどく家族がみんなおかしくなってしまう様子を、子供の大月悠祐子先生の視点から描いたものです。
特に大月悠祐子先生がおかしくなります。
ぱっと見は、よくある(あまりこういう言い方はよくありませんが)毒親の家庭に育った人のエッセイ漫画です。最近は本屋に行くと必ず売っているジャンルですね。
しかし、それらの多くと大きく違うところが2点あります。
1点めは、ベテラン漫画家だけあって、ちゃんと漫画になっています。ドラマが形成されています。
多くの毒親エッセイ漫画は、漫画というよりブログに近いです。文章がメインです。
簡単に言うと詳細に書かれた説明を、絵を助けに読む本です。
なので、いわゆる漫画雑誌に載っているような漫画ではなく、 ちゃんと読もうと思って読む本なんですね。
「漫画でわかる〇〇」に近いです。
そのほうが詳しい毒親模様も知れますし、何より読みごたえがあります。
ただ、人によっては読書と同じく、疲れているときは読めません。
また、毒親のことを知らなかったり興味がない人も途中で読まなくなりそうです。
基本的には、同じく親子関係でつらい感じになっている人向けです。
対してこの漫画は、あくまで漫画なんです。
セリフはあまり多くなく、絵と演出を使って説明します。
そのため、大変読みやすいです。疲れていても読めます。ななめ読みでも、毒親というものを知らなくても読めます。スッと理解できます。
そのため、親子関係で悩んでいる人が共感できるのはもちろん、毒親的世界を知らない人がたまたま読んで「なんだこれ!?」となり、そういう世界を知るきっかけになる可能性を秘めています。
つまり、もっと多くの人にこういう世界を知ってもらえるかもしれない、ということです。
こちらで第1話から読めます。
ふたつめは、最新巻の5巻で、結婚後のことが描かれる点です。
多くの毒親エッセイ漫画は、辛い体験の話です。つまり被害者としての自分が描かれます。
しかしこの5巻では作者は加害者になります。
毒親の被害にあった人は、結婚すると配偶者や子供にひどいことをしてしまう、これはよくあるパターンです。
毒親を持つと高い確率でアダルトチルドレン(親の毒によって思考パターンがいびつに成長してしまった人)になります。
思考パターンがいびつになれば人間関係もいびつになるのです。
確かに、そういう部分を描いたエッセイもあります。
・・・が、この5巻では作者は完全なる悪役として自分を描きます。
1~4巻までは父親(時々母親)を悪役として描いていました。
それが前フリになって、5巻での自分の悪役ぐあいが生々しくなります。
アダルトチルドレンに見られる「どうせ私なんかダメ人間だ」という自己のとらえかたではありません。
自分が悪役になってしまったことを受け止めています。
心が健康な人でも、親密な関係において自分が悪い、ひどい人間だということを受け止められる人は少ないです。
特にアダルトチルドレンは毒親に攻められすぎて罪悪感が強くなりがちなため、人一倍「自分が悪い」ことに敏感です。
それだけに、5巻で自分を悪役として描いているのは衝撃でした。
私はこれは漫画を描くことが大きな助けになっていたのかなと思いました。
アダルトチルドレンからの回復のために、「思っていることをノートに書く」というものがあります。
漫画もやってることは同じですね。
描くことで昇華されるのです。
毒親エッセイ漫画も同様です。
余談ですが、途中から「O野木さん」という名前で担当編集者が出てきます。
この方は私が白泉社でお世話になっていたときの担当編集者です。名前がそのままなのですぐわかりました。
作家に対する敬意にあふれ、とてもおだやかで聡明な方でしたので、絶対この漫画は最後まで作者の描きたいことを描ききれるんだと思います。
今は副編集長になっているようです。
昔お世話になっていた編集者の関わっている作品が今自分に刺さっている、すごく感慨深いです。
ちなみに、「父ちゃんが毒親」という予備知識だけあれば、5巻だけでも十分読めます。
おすすめです。ぜひどうぞ。
闇子ちゃん 第2話 ~点思考と線思考~
ちょっと漫画はごちゃごちゃしてしまったので、例を出すと・・・
ウツボは基本的に気持ち悪いですね。あまり食べようとは思いません。
しかし、仮にあなたが小さい頃、一緒に暮らしていたやさしいおばあちゃんがウツボ好きで、よくウツボフライやウツボかば焼きを作ってくれたとします。
大好きなおばあちゃんの料理、それだけでおいしいです。
実際にも、見た目が気持ち悪いだけで、味もそれなりにおいしかったのです。
・・・で、これによりウツボ好きになりました。
ここで誰かがこう言ったとします。
「ウツボ好きなの!?うわ~」
これは点思考です。
「そんなことあったんだー。なら好物になるかもねー。」
これは線思考です。
「ウツボ好きなの!?うわ~」に加えて
「ウツボ好きとかきもい!」
・・・と、発展させてきたらこれは点否定です。
この点否定をされることによって、あなたはやさしいおばあちゃんもその手料理も否定されたと感じます。
自分の過去や経験は言い換えれば人生の一部ですね。
それを否定されることは、人生つまり人間性を否定されるのと同じです。
これが繰り返されると、常に自分は人として間違っている、だからみんなから責められている、といったような思考パターンになります。
自分の人間性は常に否定されるものだ、という刷り込みですね。
ここで問題なのは、点否定をする側は点であなたを見てしまっているということに気づきづらいことです。
どういうことかというと、
「ウツボ好きなの!?うわ~」
「ウツボ好きとかきもい!」
この発言自体は間違っていないのです。ごく普通の発言だからです。
ウツボのことはみんなきもいと思ってます。
ポイントは、自分のウツボ好きの歴史、つまり線の部分を相手が知っているかどうかです。
例えば、定食屋で一人で焼きウツボ定食を食べていたとします。
ちょっと離れた席のカップルが、
「あの人ウツボ食べてる~きもいww」
・・・と言っていたとします。赤の他人です。
まあ、ショックはショックですが、その一方で
「ま、まあ、普通はきもいって思うよね・・・」
・・・と納得する部分もあると思います。
一方、通っている習い事の先生で、すごく頼れる人で、つきあいも長くて、悩みとか何でも話していて、とても安心できるような相手に
「うわウツボ食べてる。きもいな~。」
・・・と言われたら、赤の他人のカップルの比ではないショックを受けますよね。
赤の他人のカップルと、この先生の違いは、
「思い入れ」と、
「私の歴史をわかってくれる」という期待感です。
で、全人類に共通である、頼れてつきあい長くて悩みも話せて安心できて、思い入れがあって自分のことわかってくれると期待できる相手が・・・
親です。
これが、この漫画で描いた点否定で抱える闇です。
親から点否定をされ続けることで闇を抱えるようになります。
最も点否定をされたくない相手なのです。
ちなみに、 「やさしさ」や「思いやり」とは線思考のことです。
相手が何かNG行動をしたとき、そのNG行動という点で判断するのではなく、なぜNG行動をしたかという線で判断し、対応するのがやさしさです。
このコマ、「体調悪いから学校を休みたい」というNG行動に対し・・・
「ダメ!」
「さぼるの!?」
「なまけ者!」
これは点思考ですね。
何で学校休みたいかという線を考えて・・・
「ちょっと疲れがたまってたのね」
「おなか弱いのにずっと休まなかったもんね」
が、線思考です。やさしさです。
実際休みにOK出すかNG出すかはあんまり関係ないです。
やさしくされるともうちょっとがんばろう、と思えることもあるのです。
この味噌汁をこぼすというNG行動でも・・・
「味噌汁こぼした!バカ!」
は、当然点思考ですね。
線思考でいくと、取りづらい位置にしょうゆがあった上に、そもそもしょうゆ取ってと頼んだのは闇母のほうです。
「ごめんね、自分で取ればよかったね」
が、正しい線思考ですね。
漫画だと親子ですが、これは人間関係全てにあてはまることです。
みんながこの線思考でいければ、世の中はもっとやさしくなります。
・・・が、みんなそんな完璧じゃないし、イライラしてるときもあるし、反射的に何か言っちゃうときもあります。時々点思考になるもんです。
と、点思考をされたとき相手の立場に立って考えるのもまた線思考なのです。
線思考は、点否定されたときに自分を守る使い方もできるのです。
ぜひ取り入れてみてください。
ちなみに、この漫画のラスト
・・・とは、わざと子に対して点否定をする親もいる、ということです。
少し例外的な内容ですが、次回以降また更新します。
オッサンの昔話 第1~2話
不良には大きく分けて
A:悪意のある不良
B:悪意のない不良
・・・の2種類あると思っています。
この漫画でいうとAはトシちゃんで、Bはブッチャンです。
Aは人に迷惑をかけようという意思、悪意を持って不良行為をします。
弱いものいじめなどはまさにその典型例です。
Bは悪意は持っておらず、単純に我が強いだけです。
世の中の常識<自分のやりたいこと なのです。
世の中の常識<自分のやりたいこと でやった行動が、たまたま不良的な行動だったというだけです。
もちろん、世の中から見ればAもBも違いはありません。どちらも迷惑な不良です。
・・・が、世の中の常識<自分のやりたいこと を否定すると、とても生きづらくなります。
例えば超ハードコアなエロマンガが好きだったとして、世の中的には気持ち悪いと思われることが多いと思います。
でもなるべく 世の中<自分 で楽しみたいのではないでしょうか。
世の中的に気持ち悪いからといって 世の中>自分 にして超ハードコアエロマンガを我慢したら生きづらいです。
こういうのは世の中にいっぱいあります。
趣味、進路、おしゃれ、親との関係、男性観女性観、結婚観・・・
最近話題のLGBTもそうですね。
・・・で、よく勘違いされがちなのが、
世の中<自分 は、悪人
世の中>自分 は、善人
・・・と、いうものです。
これは大きな間違いです。
こういう画像を作ってみました。
この画像内のゴスロリや売れない漫画家は悪人でしょうか?
世の中<自分 の人たちです。
特に悪人ではないですね。
では真ん中の大麻吸ってるミュージシャンはどうでしょう?
法律に違反してるので悪人・・・と一瞬思ってしまいますが、法律に違反すると悪人なら、赤信号で横断歩道渡ったらみんな悪人です。
逆に言えば、ゴスロリや売れない漫画家は法律に違反していないので善人か?といったら、それはわからないですね。
見てないところでのら猫をいじめているかもしれません。
つまり、世の中<自分 の「行動」だけでは善悪は判断できないのです。
判断できるとしたら、その行動に悪意があるかどうかです。その行動をどういう意思で行ったか?です。
「売れない漫画家をやってる」は悪人ではないですが、
「嫁を苦労させるのが目的で売れない漫画家をやってる」だったら悪人です。
・・・で、最初に戻ると、Aのトシちゃんは悪人で、Bのブッチャンはどっちかはわからないけれども少なくとも悪人ではないのです。
まわりから見ると同じ不良でも、です。
この漫画とは別に更新している闇子ちゃんの漫画があります。
闇子ちゃんの悩みの基本にあるのは、「他者」の何かしらによって自分がグラグラなっちゃうことです。
第1話では親の言うことでグラグラしています。
親も当然、一種の「他者」です。
「他者」の大勢バージョンが「世の中」です。
つまり、闇子ちゃんは 世の中>自分 でグラグラしちゃうために悩んでいるのです。
ではどうすれば悩みが軽くなるでしょうか?
それは、世の中<自分 に近づくことです。
つまり、不良になることです。
ゴスロリでもいいです。売れない漫画家でもいいです。
みんな悪いことではありません。大麻吸ってるミュージシャンすら、そのこと自体では悪人とはなりません。
ちょっと想像してみてください。ゴスロリとか売れない漫画家とか薬中とか、闇を抱えている人のイメージありません?
そうなんです。実際のとこ、世の中>自分 の闇子ちゃんたちは無意識のうちに 世の中<自分 に切り替えた行動をして、自分のグラグラにケリをつけようとしていることが多いのです。
今回の漫画の最初のほう、9コマめ欄外の「※ヤンキー化が逃げ道になっていた」とはそういうことです。
不良化は逃げ道であり、救いなのです。
当時は不良ブームだったので、ちょっと不良の恰好をして不良的な行動をすれば居場所ができていました。お手軽に逃げ道が見つけられたのです。
今は不良はあまりかっこよくないし、ゴスロリもあまりいないので、わかりやすい形での逃げ道が見つけづらいかもしれません。
でもどこかに自分なりの不良化モデルが存在するはずです。
オッサンの昔話シリーズで、そのヒントが見つかれば幸いです。
補足:闇を抱えて不良化すると、Aのトシちゃんタイプ、悪意のある不良になると書きましたが、
そうならないために反面教師として、悪意のある不良も漫画に出てきます。
彼らの闇や行動にも注目してみてください。
闇子ちゃん 第1話 ~不正解は悪?~
漫画内では闇と表現していますが、これはアダルトチルドレンや毒親の解釈を広げたものです。
「アダルトチルドレン」「毒親」というと割と重めのものを指しますが、そこまででなくても生きづらさや違和感を抱える人は多いと思います。
そのあたりもひっくるめての「闇」です。
不正解とは少し言い方を変えると失敗のことです。
「失敗を恐れる」には大きく分けて
1:失敗は悪いこと
2:失敗すると後々えらいことになる
…の2つの見方があると思います。
この漫画は1についての内容です。(2は後ほど別の漫画にします。)
幼稚園や保育園に入るまで、例えば0歳~3歳まで、子供は親が世界の全てです。
極端に言えば、その時期に親がナマコを大量に飼っていて毎日ナマコの話をしていたら、子供はナマコのことばかり考える大人に育ちます。
「ナマコ」を「失敗!ダメ!」に置き換えてみましょう。
親が心に「失敗!ダメ!」の意識を飼っていて、毎日「失敗!ダメ!」を言っていたら、子供は「失敗!ダメ!」ばかり考える大人に育ちます。今回の闇子ちゃんがまさにそれです。
普通は幼稚園や保育園に入り、小中高と進学すると親が世界の全てではなくなります。いろんな人間と接するようになります。
そこには失敗する人もいっぱいいます。失敗しても全然悪いと思ってない人にも会います。
まわりの子供も親とは違って、失敗したとこでそんなにダメ出ししません。
そうすると自然に「失敗・・・そんなダメじゃないかも?」という意識が出てきます。
でも0~3歳の「失敗!ダメ!」は意識の基本に残ったままなので、「失敗はダメっちゃダメなんだけど、やったとこでそこまでダメでもない」と、バランスのとれた思考パターンになります。大体の大人はこれです。
しかし、親があまり他の子供と遊ばせなかったり、外の世界のことを否定ばかりしたりして、進学後も子供の意識の軸を厳しめの家庭内に置いたままにすると、子供は「失敗!ダメ!」の意識メインのまま成長します。
闇子ちゃんはそういうイメージのキャラクターです。
闇を抱えた子は、家や親との距離が近いことが多いのです。
また、世の中が進歩すると失敗が起きにくくなります。お腹がいたくなっても下痢止めがあるし、おいしい飲食店も食べログですぐに探せます。
そうすると、下痢でうんこもらした、コンパでまずい飯屋選んだ、これらの失敗が単なる「失敗」ではなく「大失敗」にランク上昇するのです。
極端な話、原始人がうんこもらしたりまずい飯食べたとこで大したことではありません。でも2019年の現在だと大失敗になってしまうのです。
平安時代でも大したことありません。昭和でもそこまででもないです。でも2019年だとけっこう周りに責められる気がしませんか?
・・・つまり、現代は親がどうとか関係なく「失敗!ダメ!」の意識を持ってしまいやすい時代なのです。
私は今年42歳ですが、今の世の中は真面目な人が多いとすごく感じます。「失敗!ダメ!」の意識が自分の世代より確実にアップデートされています。
それだけに 生きづらい人も増えたのではないでしょうか。自分のまわりには多いです。
そういう人たちと喋っているうちに闇子ちゃんの漫画を思い付きました。真面目だったり闇を抱えた人が行き詰まっているのは悲しいことです。
また、闇子ちゃんとは別にオッサンの昔話漫画も更新していきます。
自分はヤンキーばっかの中学校に通っていて自分も軽いヤンキーだったのでその頃の話です。
失敗する人ばかり出てきます。その失敗の多くはかわいそうな理由があります。家庭環境もあんまりよくありません。
でもみんなに共通しているのは、不良になることがある種の救いになっていたことです。
真面目なままだったらひきこもりになっていたんじゃないかという人もいっぱいいました。
そのあたりを通じて、何かしら真面目と失敗のバランスのとりかたを感じてもらえたらすごく嬉しいです。
よろしくお願いします。