闇子ちゃん 第1話 ~不正解は悪?~
漫画内では闇と表現していますが、これはアダルトチルドレンや毒親の解釈を広げたものです。
「アダルトチルドレン」「毒親」というと割と重めのものを指しますが、そこまででなくても生きづらさや違和感を抱える人は多いと思います。
そのあたりもひっくるめての「闇」です。
不正解とは少し言い方を変えると失敗のことです。
「失敗を恐れる」には大きく分けて
1:失敗は悪いこと
2:失敗すると後々えらいことになる
…の2つの見方があると思います。
この漫画は1についての内容です。(2は後ほど別の漫画にします。)
幼稚園や保育園に入るまで、例えば0歳~3歳まで、子供は親が世界の全てです。
極端に言えば、その時期に親がナマコを大量に飼っていて毎日ナマコの話をしていたら、子供はナマコのことばかり考える大人に育ちます。
「ナマコ」を「失敗!ダメ!」に置き換えてみましょう。
親が心に「失敗!ダメ!」の意識を飼っていて、毎日「失敗!ダメ!」を言っていたら、子供は「失敗!ダメ!」ばかり考える大人に育ちます。今回の闇子ちゃんがまさにそれです。
普通は幼稚園や保育園に入り、小中高と進学すると親が世界の全てではなくなります。いろんな人間と接するようになります。
そこには失敗する人もいっぱいいます。失敗しても全然悪いと思ってない人にも会います。
まわりの子供も親とは違って、失敗したとこでそんなにダメ出ししません。
そうすると自然に「失敗・・・そんなダメじゃないかも?」という意識が出てきます。
でも0~3歳の「失敗!ダメ!」は意識の基本に残ったままなので、「失敗はダメっちゃダメなんだけど、やったとこでそこまでダメでもない」と、バランスのとれた思考パターンになります。大体の大人はこれです。
しかし、親があまり他の子供と遊ばせなかったり、外の世界のことを否定ばかりしたりして、進学後も子供の意識の軸を厳しめの家庭内に置いたままにすると、子供は「失敗!ダメ!」の意識メインのまま成長します。
闇子ちゃんはそういうイメージのキャラクターです。
闇を抱えた子は、家や親との距離が近いことが多いのです。
また、世の中が進歩すると失敗が起きにくくなります。お腹がいたくなっても下痢止めがあるし、おいしい飲食店も食べログですぐに探せます。
そうすると、下痢でうんこもらした、コンパでまずい飯屋選んだ、これらの失敗が単なる「失敗」ではなく「大失敗」にランク上昇するのです。
極端な話、原始人がうんこもらしたりまずい飯食べたとこで大したことではありません。でも2019年の現在だと大失敗になってしまうのです。
平安時代でも大したことありません。昭和でもそこまででもないです。でも2019年だとけっこう周りに責められる気がしませんか?
・・・つまり、現代は親がどうとか関係なく「失敗!ダメ!」の意識を持ってしまいやすい時代なのです。
私は今年42歳ですが、今の世の中は真面目な人が多いとすごく感じます。「失敗!ダメ!」の意識が自分の世代より確実にアップデートされています。
それだけに 生きづらい人も増えたのではないでしょうか。自分のまわりには多いです。
そういう人たちと喋っているうちに闇子ちゃんの漫画を思い付きました。真面目だったり闇を抱えた人が行き詰まっているのは悲しいことです。
また、闇子ちゃんとは別にオッサンの昔話漫画も更新していきます。
自分はヤンキーばっかの中学校に通っていて自分も軽いヤンキーだったのでその頃の話です。
失敗する人ばかり出てきます。その失敗の多くはかわいそうな理由があります。家庭環境もあんまりよくありません。
でもみんなに共通しているのは、不良になることがある種の救いになっていたことです。
真面目なままだったらひきこもりになっていたんじゃないかという人もいっぱいいました。
そのあたりを通じて、何かしら真面目と失敗のバランスのとりかたを感じてもらえたらすごく嬉しいです。
よろしくお願いします。