オッサンの昔話 第1~2話
不良には大きく分けて
A:悪意のある不良
B:悪意のない不良
・・・の2種類あると思っています。
この漫画でいうとAはトシちゃんで、Bはブッチャンです。
Aは人に迷惑をかけようという意思、悪意を持って不良行為をします。
弱いものいじめなどはまさにその典型例です。
Bは悪意は持っておらず、単純に我が強いだけです。
世の中の常識<自分のやりたいこと なのです。
世の中の常識<自分のやりたいこと でやった行動が、たまたま不良的な行動だったというだけです。
もちろん、世の中から見ればAもBも違いはありません。どちらも迷惑な不良です。
・・・が、世の中の常識<自分のやりたいこと を否定すると、とても生きづらくなります。
例えば超ハードコアなエロマンガが好きだったとして、世の中的には気持ち悪いと思われることが多いと思います。
でもなるべく 世の中<自分 で楽しみたいのではないでしょうか。
世の中的に気持ち悪いからといって 世の中>自分 にして超ハードコアエロマンガを我慢したら生きづらいです。
こういうのは世の中にいっぱいあります。
趣味、進路、おしゃれ、親との関係、男性観女性観、結婚観・・・
最近話題のLGBTもそうですね。
・・・で、よく勘違いされがちなのが、
世の中<自分 は、悪人
世の中>自分 は、善人
・・・と、いうものです。
これは大きな間違いです。
こういう画像を作ってみました。
この画像内のゴスロリや売れない漫画家は悪人でしょうか?
世の中<自分 の人たちです。
特に悪人ではないですね。
では真ん中の大麻吸ってるミュージシャンはどうでしょう?
法律に違反してるので悪人・・・と一瞬思ってしまいますが、法律に違反すると悪人なら、赤信号で横断歩道渡ったらみんな悪人です。
逆に言えば、ゴスロリや売れない漫画家は法律に違反していないので善人か?といったら、それはわからないですね。
見てないところでのら猫をいじめているかもしれません。
つまり、世の中<自分 の「行動」だけでは善悪は判断できないのです。
判断できるとしたら、その行動に悪意があるかどうかです。その行動をどういう意思で行ったか?です。
「売れない漫画家をやってる」は悪人ではないですが、
「嫁を苦労させるのが目的で売れない漫画家をやってる」だったら悪人です。
・・・で、最初に戻ると、Aのトシちゃんは悪人で、Bのブッチャンはどっちかはわからないけれども少なくとも悪人ではないのです。
まわりから見ると同じ不良でも、です。
この漫画とは別に更新している闇子ちゃんの漫画があります。
闇子ちゃんの悩みの基本にあるのは、「他者」の何かしらによって自分がグラグラなっちゃうことです。
第1話では親の言うことでグラグラしています。
親も当然、一種の「他者」です。
「他者」の大勢バージョンが「世の中」です。
つまり、闇子ちゃんは 世の中>自分 でグラグラしちゃうために悩んでいるのです。
ではどうすれば悩みが軽くなるでしょうか?
それは、世の中<自分 に近づくことです。
つまり、不良になることです。
ゴスロリでもいいです。売れない漫画家でもいいです。
みんな悪いことではありません。大麻吸ってるミュージシャンすら、そのこと自体では悪人とはなりません。
ちょっと想像してみてください。ゴスロリとか売れない漫画家とか薬中とか、闇を抱えている人のイメージありません?
そうなんです。実際のとこ、世の中>自分 の闇子ちゃんたちは無意識のうちに 世の中<自分 に切り替えた行動をして、自分のグラグラにケリをつけようとしていることが多いのです。
今回の漫画の最初のほう、9コマめ欄外の「※ヤンキー化が逃げ道になっていた」とはそういうことです。
不良化は逃げ道であり、救いなのです。
当時は不良ブームだったので、ちょっと不良の恰好をして不良的な行動をすれば居場所ができていました。お手軽に逃げ道が見つけられたのです。
今は不良はあまりかっこよくないし、ゴスロリもあまりいないので、わかりやすい形での逃げ道が見つけづらいかもしれません。
でもどこかに自分なりの不良化モデルが存在するはずです。
オッサンの昔話シリーズで、そのヒントが見つかれば幸いです。
補足:闇を抱えて不良化すると、Aのトシちゃんタイプ、悪意のある不良になると書きましたが、
そうならないために反面教師として、悪意のある不良も漫画に出てきます。
彼らの闇や行動にも注目してみてください。