オッサンの昔話 第3話 ~山田くん~
最近「放置子」という単語をよく目にします。
過干渉の反対で、育児放棄みたいなものですね。
この漫画の山田くんもそれに近かったと思います。
・・・というか、私の生まれたところは貧しい地域で治安も悪かったので、そういう友達はたくさんいました。
彼とは小学校低学年からの友達でした。
親は基本的には家におらず、いても親子っぽく接しているのは見たことがありません。
ファミコンが小1で発売され、普通はソフトは年に一回買ってもらえるかどうかでしたが、彼は何十本も持っていました。
明らかに親がゲームだけ与えて放置という子供でした。
小学校の高学年からグレはじめ、小学生で髪を脱色したりたばこを吸いはじめたり、あと漫画にも描いたようにちょっかいを出されると暴力が出ていたので、「危ないやつ」という存在になっていました。
前回私は、不良化は逃げ道であり救いと書きました。
彼の場合も、強めにグレはじめたことでそれが鎧になっていた感があります。
・・・と、いうのも、彼は明らかにコミュニケーションに難ありの人でした。
いつもうつろな目をしていて、自分から誰かに話しかけていたのも見たことがありません。
そもそも口数がものすごく少ないのです。
鍋で昆虫を煮て殺すくらいなので、明らかに相当な闇を抱えていました。
そして中学生くらいだと、コミュ障な人はちょっとでもネガティブな要素があるといじりの対象になりやすいです。
・・・が、そういう扱いにはなっていませんでした。
むしろ、強めのグレにより「気合入ってる」と認識され、恐れられていました。
「危ないやつ」がヤンキーの世界で「気合入ってる」と変換されることはよくあります。
なのでグレの鎧により、学校では気ままにしていながら、ひそかなリスペクトも受けていたのです。
転校してからも近況の噂が流れてきたのが、その証拠です。
みんな見て見ぬふりをしつつ気にはしていたんですね。
もうひとつ、当時は「オタク」という言葉がほとんど浸透していませんでした。
そして同時に、ファミコンというまったく新しい遊びの登場は子供たちにとってものすごい衝撃だったのです。
なので、山田くんは今でいうゲームオタクでしたが、「ゲームをたくさん持っている」というだけで小学生時代は軽くリスペクトされていました。
特に低学年の頃は、けっこう他の友達も遊びに来ていました。
親に放置されることは、子供にはどうしようもありません。
そこで「不良化」と「ゲームオタク化」が彼にとって大きな救いになっていたように見えます。
どちらも彼に「立ち位置」を提供したのです。
前回私はこの表でもって、不良とは「悪いことをする人」とは限らず、単に「世の中<自分」となっている人のこと、と書きました。
そういう意味ではゲームオタクも 世の中<自分 の人です。不良です。
当時は子供たちが家で何時間もゲームで遊ぶというライフスタイルに慣れていない時代だったので、ゲームばかりやってるというのは今以上にアウトローで世の中から外れたものだったのです。
これがもし、何かしらの甘えからくるアウトローであれば、ただの堕落です。よくないことです
でも、どうしようもないものに耐え、その上でのアウトローなら誰にも責めることはできません。
ゲームオタクも暴走族も大したものではないです。
アウトローを救いにしてどうしようもないものに耐え、いつかそこから抜け出すときに周りも自分もうまいこと立ち回れる、優しくて強い世の中になるといいですね。
ちなみにアクトレイザーとはこういうゲームです。
音楽がかっこいいです。
古代祐三という人が作曲しています。
この時点でキャリアの長い人で、ゲーム音楽に作曲者ブランドが発生する流れの第一人者かもしれません。
スーパーファミコンの音源は特徴的なのですごく印象深いです。