オッサンの昔話 第5話 ~越智くん~
以前から何度かこのイラストと一緒に「不良化は救いになる」と書きました。
不良というとアウトローのイメージがまず出てきます。
当時は越智くんのようにゲームでずっと遊んでいるのも結構なアウトローでした。
というのも、「ゲームは脳によくない」という意識が強い世の中だったため、大半の親は子供がゲームで遊ぶことに反対でした。
なので、ゲームをずっとできる=家に親がいないということだったのです。
家のテレビにゲーム機をつなげて遊ぶという時点で、今までの人間界には無い概念でした。
ゲーム機自体、1983年(私が6歳の歳)のファミリーコンピューターが発売されるまでは9割9分の人は見たことのない機械だったのです。
世の親たちからすれば、全く見たことのない機械を使った全く見たことのない遊び方で子供が夢中になっているわけです。
今で例えるなら、子供が鼻にケーブルを差して脳内映像をテレビに映して金星人と宇宙語で銀河マージャンやっているようなものです。
さらにそれを一日中やっていたとしたら。
相当なアウトローです。
それが越智くんでした。
でも初対面でナイフの刺し方を教えてくるぐらいなので、実際ゲームは脳によくなかったのかもしれません。
越智くんは普通にゲームをやりすぎていたので、マリオやドラクエではもはや満足できず、誰も知らないようなゲームにも手を伸ばしていました。
ベラボーマンは レトロゲームマニアには有名だと思います。
元はゲーセンのゲームです。
ゲーム中のギャグセンスに私は頭おかしくなるんじゃないかというくらい爆笑していました。
さらに中学に上がった彼はパソコンゲーム、エロゲーにもはまっていました。
パソコンでゲームができるなんて誰も知りません。
というかパソコンは誰の家にもありませんでした。
むしろ家にあるものではなく、バックトゥザフューチャー的な映画で科学者がカチャカチャやって何か発明をする機械という認識でした。
それが家にあってしかもエロに使うのです。
アウトローです。
エロとはいっても1990年です。
グラフィックはこんなレベルです。
しかし、ゲームといえばマリオやドラクエという中学生にとって、これはものすごい衝撃でした。
やってはいけないゲームをやってる感が半端なかったです。
こういう美少女的な絵もめったに目にすることがない時代でもありました。
そして彼はアングラ文化にも精通しており、見たことのない雑誌、CD、漫画だらけでした。
「GON!」とは、今コンビニなんかに置いてある「実話ナックルズ」の前身雑誌です。
ヤクザとか薬物とか都市伝説とかの、本当だかよくわからない話が載ってるあれですね。
「ジャパコア」とは「ジャパニーズハードコアパンク」の略です。
こういう曲がヒットしていたときに・・・
越智くんはこっちでした。
ざっくり分けると、X JAPANがこの界隈出身です。
※ジャパコアとは本当は蔑称なのですが、言葉としてわかりやすくするためここでは使っています。
山本直樹は今では漫画好きには有名な漫画家ですが、当時はアングラなエロ漫画家でした。
この頃はまだ「オタク」という言葉もカテゴリーもあまりなかった時代でした。
そのため「オタクだったらこういうものを知っておくものだ」みたいなのがそれほどなく、純粋にグっときたものを好きになっていたんだと思います。
私のイメージだと、現在のオタクはSNSがあるので 「今話題のアニメやゲームをみんなで共有する」ことに喜びを見出している気がします。
人と人がつながるツールとしてオタク趣味があるのですね。
一方この頃は「自分の世界を一人で掘り下げる」タイプのオタクが多いイメージです。
基本的に知り合いの範囲は学校しかないので、同じクラスに同じオタク趣味の人がいなければ一人で楽しむしかありません。
他人が介入しないので自分の好きアンテナ重視になり、必ずしもアニメ、美少女、ミリタリーや鉄道、といった定番ルートに夢中になるわけではなかったのです。
そのため、「パソコンでエロゲーム」と「ハードコアパンク」という一見交わらなそうな趣味が「アウトロー」という感覚でつながったんだと思います。
そしてその感覚は彼の心の闇から生まれたものだったのです。
友達やその関係者など、 私と近しい人が何人か逮捕されたことがあります。
初めてが彼の父親でした。
でも中学生ということでまだ子供なので、そんなに衝撃でもありませんでした。
「逮捕」よりも「おねしょが治らない」とか「怒ると茶碗割る」のほうがリアリティがあり、それを彼が他人事みたいに話すことのほうが衝撃でした。
いびつな環境でゲームに没頭パターンは以前の山田くんと一緒です。
山田くんは不良で越智くんはオタクです。
でもそれはたまたまだっただけで、両者にそんなに違いはないと思います。
どちらもアウトローという視点では一緒です。
そしてそのアウトローな世界を心のよりどころにしていたのも一緒です。
大人になる過程で触れる世界は多いほうがいいです。
選択肢は多くあるべきです。
生誕ガチャに失敗して不健康な家庭に生まれても、その多い選択肢の中から自分の居場所を見つけられます。
逆に健康的な家庭に生まれていても、その健康な家庭しか知らないと人としての振り幅が狭くなります。
不良の世界だのエロゲームの世界だのは関わらないほうが安心に決まっています。
しかし、後ろめたいことと知りつつ関わるのをやめられないのであれば、それはもうその人の本質なのではないでしょうか。